京都国立博物館 館長 佐々木 丞平

『伝統を未来へ』ICOM京都大会2019の閉幕を飾る菊の会

昨年9月1日から7日まで京都で国際博物館会議(ICOM京都大会2019)が開催されましたが、最終日の7日、その閉会式が京都国立博物館でとりおこなわれました。その閉会式の場で菊の会による日本のおどりが披露され、大会を華やかに、また、格調高く閉じることができました。
 ICOM京都大会2019では世界120カ国から4600人もの文化関係者が集い、「伝統を未来へ」という共通のテーマの下に様々な議論がなされました。京都はこのテーマを議論するに最もふさわしい場でありましたが、菊の会の皆様に演じて頂いたおどりは正にこのテーマそのものであったと思います。文化というものは過去のみを見ていたのではその行く先は暗く、未来のことのみを見て過去の伝統を無視したのでは極めて危ういものとなります。文化がその時代を超えて末永く継承され生き続けていくためには、過去と未来をいかにその視野に入れて活動するかにかかっているように思います。その意味では菊の会が目指しておられるところは正に的を射ていらっしゃるように思いました。装束、身体のこなし、音楽、どの細部をとってみても日本のおどりの伝統を感じると同時に、そのどの部分においても新鮮さを感じさせる要素を組み込んでいらっしゃるように見えました。伝統を護るということは大変な努力がいることでしょう。そして更に未来に向かっての眼差しを常に持ち続けていくことはなお大変なことでしょう。しかしこの車の両輪ともいうべき二つの要素が作動して初めて真に伝統を護るという行為が達成されるものと思います。その意味でも菊の会の皆様の活動は貴重であると思います。
 博物館も今時代の大きな転換点にさしかかっています。単に古い伝統的な文化財を保存し、それを公開するという本来の役割だけでは、めまぐるしく変化する今の時代に貢献することは非常に難しくなっています。我々も常に未来を見つめ、「護る」ことの意義を考えながら博物館活動を続けていきたいと思います。
上海歌劇院舞劇団 副院長 呉 潔(ウー・ヂィエ)

両国文化の伝承と発展を担う者として

日中平和友好条約40周年の記念すべき年に、上海歌劇院舞劇団は公益財団法人日中友好会館からの招聘により、ダンス公演出演のため来日しました。日本滞在中、ご縁があり「舞踊集団菊の会」さまとの舞踊交流会が実現し、当団員16名で菊の会スタジオを訪問しました。
 スタジオでは落語(三遊亭らっ好:落語家)とその落語を元に新しく創作された狂言舞踊や、日本舞踊を生まれて初めて鑑賞しました。落語では、日本語が全く分からない私たちのために、中国語解説をご用意いただき大変感動しました。その新作の狂言舞踊では出演者の絶妙な表現力により、言葉の壁を超えてストーリーを理解でき、大変興味深かったです。また日本舞踊では踊り手一人一人が演じる芸術的でユーモア溢れる豊かな表現に心が和み、大変貴重な経験となりました。
 私たちはよく芸術とは生活の中からヒントを得、それを発展させたものである と言います。今回「菊の会」さまの公演を拝見し、まさに全ての作品にわれわれの日常生活が色濃く表れていると感じました。同時に出演者からは舞踊・芸術に対する心からの愛が感じられ、決して妥協せず、努力を重ねられていることに気付かされました。
 公演後の交流会では、当団の宋潔、陳鵬、譚一梅がそれぞれ踊りを披露しました。これらの作品もまた「菊の会」さまから大変ご好評いただきました。そのあとの意見交流会では、両団のリーダー及び踊り手が舞踊に対する認識や理解をお互いに発表し合い、大変有意義な時間となりました。
 今回の交流会を機に、われわれ両国文化の伝承と発展を担う者同士、今後とも友好な関係を築いていけたらと思います。最後になりますが、今回このような交流の場を設けて下さいました「菊の会」さまに感謝を申し上げるとともに、今後のますますの発展をお祈り申し上げます。

駐チリ日本国特命全権大使 平石好伸

チリで初となる、菊の会公演が大成功

2017年は、1897年に日本とチリが修好通商航海条約を締結してから120周年にあたる佳節になります。この記念すべき年に、遠路遥々、菊の会の皆様にチリにお越し頂き、素晴らしい舞台を披露して下さったことにまずもって心より感謝致します。
この1年間、日本・チリ双方において、年間を通じて数多くの120周年記念事業が実施されました。秋篠宮同妃両殿下のチリ御訪問をはじめとする活発な要人往来など、政治、経済、文化等幅広い分野で様々な交流が進み、国民間の相互理解が一層深まる年になりました。
菊の会の皆様は、初めてのチリ公演を通じて、この記念すべき年を大いに盛り上げて下さいました。サンティアゴ及びバルパライソの二都市での公演は、何れも日本の本格的な舞踊を楽しみに駆け付けたチリの観衆で満場となりました。優雅且つ力強く迫力溢れる踊り、更には狂言に基づいたユーモラスな舞台は、人種、性別や言葉の壁を超え、会場を大いに沸かせました。私自身については太郎冠者の「釣り上げた」お嫁さんの愛くるしい笑顔と仕草が今でも夢に出て来るので、寝ながら笑ってしまい結果眠りの浅くなる日々を送っております。
とりわけ、フィナーレの阿波踊りで演者の皆様が観客席に雪崩込み、満場の観衆と一体となる様子は、チリを含め中南米各地に伝わるカーニバルにも似た様相であり、正に圧巻でありました。畑聡代表をはじめ菊の会の皆様が、あくまでも古典舞踊を基本としながらも、常に独創的なアイデアを取り入れ、日本古来の美と心を自ら体現され、遠く離れたチリの地で観客と心を通わせる、誠に感動的なひとときに私も十二分に酔わせて頂きました。
また、各会場関係者からは、時間厳守の徹底、丁寧かつ迅速な整理整頓など、舞踊そのもの以外の部分においても、菊の会の皆様の芸術に臨む真摯な姿勢と規律ある態度に対して大変感銘を受けたとのコメントがありました。こうした面を通じても、正に日本・チリ両国の国民間のより一歩高次元での文化交流を実践して頂いたものと認識しております。
最後に、厳しいスケジュールの中、このたびチリにお越し頂いた菊の会の皆様に改めて厚く御礼申し上げるとともに、貴会の今後益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。
デトロイト美術館 館長 サルバドーレ・サロート・ポンス

沸き立つ美術館

デトロイト美術館(DIA)は全米でもトップランクの有数の美術館です。2013年、デトロイト市の財政破綻で当美術館も破綻を経験しましたが、2014年秋、歴史的な再生計画「グランドバーゲン」の成功により独立行政法人として道を歩めました。この時、支援してくれた日本コミュニティと進めてきた、「常設日本ギャラリー」が11月2日に無事オープンできました。ギャラリーでは「静と動」というコンセプトで美術品の展示をし、日本文化の面白さを来観者に伝えています。
 この歴史的変革点を潜り抜けたDIAのJCD(ジャパン カルチュラル デイズ)イベントは、11月2日の晩さん会から始り、シュナイダー・ミシガン州知事、池永滋賀県副知事、太田豊田市長などの150人以上の来賓を迎えた晩さん会では、その出し物の最後として、畑代表率いる菊の会の「阿波踊り」が披露され、晩さん会は大きな盛り上がりを見せました。この阿波踊りは、私達夫婦、そして多くの晩さん会の来賓(日本人や現地の人間たち)も初めて見るものと思いますが、きわめて簡素な音楽の伴奏で、多くの美しい男女による踊りに魅了させられました。
 11月4日、5日、メイン会場の劇場(オーディトリウム)では、菊の会がギャラリー開設を祝う古典舞踊や、日本の民舞、そして創造的な踊りを披露し、公演毎にスタンディングオベーションによる喝采を浴びました。極めつけはリベラコート(美術館で最も有名な場所)での踊りです。そこは来館者とイベント開催に精力を費やしてきた関係者が一つになり、我々も経験したことのない夢のような「沸き立つ美術館」になっていました。そして二日間の来館者数は7000人以上という大成功の記録が残りました。

在日アルジェリア民主人民共和国 特命全権大使 シド・アリ・ケトランジ(2005~2015)

舞踊集団菊の会創立35周年のお祝いに際して、菊の会皆様、特に私を含む世界中の日本の友人に対して日本の持つ素晴らしさを代弁されている畑道代代表に対して尊敬、友情そして賞賛の気持ちをお伝えするにあたり、大変な喜びを感じています。
何度か菊の会の公演に足を運ぶ機会を頂きましたが、毎回その美しさと技の巧みさに魅了され、喜びと満足感に浸りながら劇場を後にします。
純粋なる日本舞踊の伝統と現代のダンスの幸福な調和は、数千年の伝統によって育まれた現代性を持つこの偉大なる国を表現していると思います。2006年7月にはアルジェリア国民も菊の会の公演を賞賛する機会に恵まれ、歓喜に満ち溢れたものとなりました。
首都アルジェで行われました公演は、洗練された日本舞踊の世界の旅であり、日本文化を堪能するひと時でした。市民たちは公演の中で衣裳の豪華さと同様に、クラシズムと現代の感覚の融合、動きと声の美しさ、日本の踊りと劇中にある美の作法の奥深さを鑑賞する機会を得たことでしょう。
この忘れがたき幸福の時を与えてくださった畑代表をはじめ、菊の会のすべての皆様に再度重ねて感謝を述べさせて頂きます。
きっと菊の会の皆様にも素晴らしい思い出を残したであろうわが国での公演が、再び開催されることを期待しております。
駐日バーレーン王国特命全権大使 ハリール・ビン・イブラヒム・ハッサン博士

この度は、バーレーン王国大使としてというよりもむしろ、菊の会の熱烈なファンのひとりとして、この場を借りて皆さまにご挨拶申し上げます。
私が初めて菊の会の舞台を拝見したのは、2007年6月のことでした。その時には、これまで自分が抱いていた伝統的な日本芸能のイメージを、根底から覆されるような衝撃を受けました。
菊の会の舞台は、日本の古典的な芸能に受け継がれる、重厚で静謐を様式美を忠実に継承するとともに、初々しいまでの若さと清々しさを、見事に表現するものでした。
日本の古典芸能のエッセンスから、あのような興奮に満ちたリズムやステップを導き出されるものとは、私は思いもよりませんでした。それはまさに、生命の躍動感と喜びに溢れるものでした。
後にその素晴らしい舞台が、畑道代代表の、古典芸能を真髄まで体得しつつも、その枠にとらわれることのない独創的な発想と、踊り手おひとりおひとりのたゆまぬ努力の賜物と分かり、私は感激を新たにしたものです。
以来、私は、菊の会の熱心なファンとなり、2008年5月には、第26回友の会総会にも参加をさせていただきました。会場で私は、あのような熱心な方々からの熱烈なご支援があってこその菊の会、という認識をまた新たにさせていただきました。
菊の会のファンはさらに、国境を越えて広がっていっております。創設以来精力的にに取り組んでおられる、世界各地での公演の評判は、もちろん私の耳にも届いております。近いうちに、私の母国パーレーン王国で、再び公演を行っていただけるよう、私もこれからも全力で支援してまいりたいと思います。
これからも、日本伝統の様式美を生命の喜びに載せて、世界中に届けてくださいますよう、菊の会のますますのご発展とご活躍をお祈り申し上げます。
京都市 市長 門川 大作

皆様と共に「日本のこころ」を世界に(4月8・9日菊の会八瀬公演「陽春に舞う」)

満開の桜に彩られた八瀬の地で演じられた夢のようなひととき。日本舞踊の伝統を継承しつつ、独創的な演出と躍動感溢れる現代的な踊りを取り入れた舞台に、私も大きく心を揺さぶられました。目を閉じれば、今もその情景が鮮やかに蘇ってまいります。
 会場全体を大きな感動で包んだ舞台「陽春に舞う」を創り上げられた、畑聡代表をはじめ菊の会の皆様に心から敬意を表します。京都御出身の故畑道代先生が中心となり、「舞踊の創造」を目指して貴会を設立されたのが昭和47年のこと。以来、国内のみならず世界中の多くの人々をその素晴らしい踊りで魅了してこられました。さらに、未来を担う子どもたちへの日本文化の継承にも熱心に取り組まれ、全国各地での学校公演を続けておられます。
 貴いお取組を重ねられ、貴会が本年、創立45周年の節目を迎えられましたことを心からお慶び申し上げます。
 本年4月、オー ル京都の悲願であった文化庁の京都への全面的移転に向け、「文化庁地域文化創生本部」が東山に発足しました。私といたしましても、舞踊を通じて日本文化、さらには「日本のこころ」を広く発信しておられる皆様のお力添えをいただきながら、文化の力で日本を元気に、そして世界に貢献していく決意です。皆様の温かい御支援御協力をお願い申し上げます。
 結びに、菊の会が来る50周年に向けてますます発展されますこと、並びに会員の皆様の御健勝と御多幸、更なる御活躍を祈念いたします。
会長日本民俗芸能協会 会長 西角井 正大

畑 道代師から 畑 聡氏へバトンタッチ成功

「舞踊集団 菊の会」を創立された尾上菊乃里師に初めてお会いしたのは、昭和45年(1970)の大阪万博の折でした。
 “太賜の塔”が立つ” お祭り広場 で “日本の祭” を総合プロデュ ー スされていた三隅治雄先生の宿舎で紹介されたわけですが、この時にはまだ「菊の会」は立ち上がっておりませんでした。ですからこの時には尾上菊乃里師の胸中には「菊の会」の構想が熟していたのでしょう。発足は翌昭和47年でした。
 尾上菊乃里師は日本舞踊尾上流の菊之丞師の内弟子で将来を嘱望されておられましたが、ご本名の畑道代で「菊の会」の会主に就かれました。 “尾上菊〇〇”となれば、舞踊の名人の誉れ高き六世尾上菊五郎に所縁のある名門系ですから「菊」を大事に会の名にしたのでしょう。そこで畑道代師が舞踊の新境地に置いたのが民俗芸能で、日本舞踊にも精通しておられる三隅治雄先生を恩師のように迎えたのだと思います。日本舞踊と民俗芸能の融合に日本人の真の姿を見て、何処にもない、誰もしなかった新しい舞踊集団を誕生させ、育てたのです。
 畑道代師は不幸病をえて、平成28年(2016)には創立45周年を迎えたというのに、悲しいかな七回忌のメモリアル公演を・・・ 催す仕儀でした。
 私が思い出すのは、発足直後の頃の公演のお稽古です。
 三隅治雄先生の助手のような形でお手伝いさせていただきました。その頃から畑道代師は“仔鹿グループ”の名で少年たちを集い、舞踊だけでなく三味線や嗚り物までと邦楽を学ばせていたのです。その少年たちが今や「菊の会」の男性舞踊家陣の中核になっているわけです。その1人が現代表の畑聡氏です。
 実は私ども「日本民俗芸能協会」も昨年創立45周年を迎え、記念誌を刊行し、今年7月4日に記念事業の一環として国立小劇場で公演を持ちました 。
 私どもの協会は流派やジャンルを超えた舞踊家・音楽家・研究者から構成されていて、畑道代師も会員に加わっていただいておったので、畑聡師が引き継いで会員になっていただいています。そして、協会の記念公演には「菊の会」の団員の方々にもご参加いただきました。演目は畑聡師の構成・演出の「鹿 躍幻想」です。
 この畑作品は新しい踊り鹿頭を庭元が踊手たちに手渡す神聖な“頭譲 りの儀式”をテー マにした作品です。
 被 り物の鹿頭一つを象徴的に飾ってその前で素踊りの様式で踊るという構想でした。原形の鹿躍りの舞踊様式を踏まえながら美しく整った舞台でした。将に純米大吟醸のような美酒の味わいでした。通常の鹿躍りの扮装をしておりませんから、身体の動きがよく分かりました。扮装をしていては見えない動きがよく見えました。それは大変に興味深いものでした。特に飛んだり跳ねたりの脚の動きや運びが想像以上に複雑なものであることを認識しました。それはおそらくバレエの脚遣いに負けるものでないと思うほどでした。そのことだけでも心地よく酔わせてくれました。
 畑道代師の生き方と畑聡師の後継者ぶりの正しいことが如実に証明されている作品であり舞台であったと思いました。
 こうして平成29年には創立46年目となって次の新たな目標に向かっていくことになるのですが、創立 50 周年 目は畑道代師の 13 回忌でもあるのです。更なる発展を期待申しております。

駐ペルー日本国特命全権大使 株丹 達也(2014~2018)

MATURIに咲く花

日本を出発して約21時間、リマの国際空港に到着された皆様。
我が国最高水準の舞台芸術を披露して頂くためとはいえ、重たい、しかし素晴らしく美しい衣装や「刀」や獅子の髪まで運んで頂いた。飛行中もずっと女性団員は和装で来られた。
ペルーでの公演実現は大変なことである。
マチュピチュ、クスコやナスカの地上絵のために来る日本人は多いが、ペルーと日本の深い繋がりをご存じの方は多くないかもしれない。
日本人が移住を始めたのは1899年4月のこと。全く日本と異なる風土環境の中、働く場所を求めて多くの移民が続いた。今日、日系の方々の勤勉、正直、誠実さはペルー社会で高く評価されている。
大使館では、日系の方々と協力して日本文化週間と銘打って、日本を紹介し、親しむことができる優しさを毎年11月に開催している。奇しくも昨年はその第43回。創設43年の「菊の会」と全く同じ期間続いている。
ペルー日系人が自ら建設した日秘劇(ペルーで感じで秘露)、そして広大な運動施設を会場にして行われる「マツリ」(半日で2万人は集う)のメインベンターとして、舞踊をご披露頂いた。
美しく、しかし、力強い。生きていることを心から喜ぶことが伝わる。これほど本格的な
日本の舞踊が紹介されたのは初めてのことではないか。ワークショップの開催と併せ、
菊の会の皆様の挨拶と笑顔と気配りの素晴らしさが言葉の壁を越えてペルー側に届いたことも
ぜひ御報告したい事柄である。
駐大韓民国日本国特命全権大使 長嶺 安政(2016~2019)※現在駐英国特命全権大使

菊の会45周年に寄せて

本年菊の会が創立四十五周年を迎えられたことに対し、心からお祝い申し上げます。伝統文化を継承・発展させ、国際的な文化交流にも貢献されてきた皆様の長年のご活動に、敬意を表します。
 昨年十月にソウルで開催された「日韓交流おまつり2016 in Seoul」の際にも、菊の会の皆様には素晴らしい舞台を披露していただきました。日韓国交正常化四十周年を機に2005年にスタートした「日韓交流おまつり」は、今や日韓両国最大の文化交流行事として定着しており、昨年も若い世代を中心に約六万人の方々にお越しいただきました。「躍れ 日本の心」をテーマとする菊の会の皆様による感動的な舞台は、そうした次世代の日韓交流の主役となる韓国の若者たちにとって、日本の伝統文化の魅力を肌で感じる貴重な機会となりました。また、東北地方の民俗舞踊を多数御紹介いただくことを通じ、東日本大震災からの復興を着々と進める日本国民の思いや共感を表現して頂きました。この場をお借りして深く御礼申し上げます。
 一昨年の日韓国交正常化五十周年を経て、日韓両国は新たな五十年に向って動き出しました。新たな五十年が日韓両国にとって実り豊かなものとなるよう、私としても日韓両国国民の間の相互理解や相互信頼を一層強化していきたいと考えております。そのためには、人と人との交流、文化交流が何よりも大切です。
 菊の会は、1999年に初めて韓国公演を実施されて以来、これまでに幾度も韓国での公演を成功させてこられました。今後とも、国を越える文化の力や文化交流の喜びを多くの国々において伝えていただきたいと思います。 
 日本はもちろんのこと、世界各地での更なる御活躍を期待しつつ、創立四十五周年を迎えられました菊の会の益々の御発展を改めて祈念申し上げます。
ドイツ古都連盟 事務局長 イヴォンヌ・メーゲンス Yvonne Megens

音楽と舞踊・・・異なる文化の架け橋とステップ

25年以上前の話になりますが、ドイツ古都連盟が創設されました折に、その目的の一つとして、豊かな歴史的遺産を有するドイツの都市を主要な外国市場に紹介し、これら13都市への訪問および体験活動を活性化することが挙げられました。日本も当初よりその対象に入っていました

1000年余りの古い歴史を追想できる文化国家。そして伝統の基盤と時代を超越し有効な価値への敬意を払いつつ、主導的な工業国に発展した国。技術革新と傑出した技術力により、人間のコミュニケーションに大切なサインである最も重要な"言語"を創生し、描写し、音楽や舞踊をこの"世界的言語"に延長上の表現形式としてとらえることを地球上の多くの人々に可能にした国。すなわち、娯楽用電子機器という意味ですが、日本企業といえば即座にこれらの技術やコニュニケーションを意味しております。

そういう訳ですので今回、日本の舞踊ブループ菊の会をドイツ統一後にドイツ古都連盟のメンバーに参入したエアフルト市にお迎えすることは、ドイツ古都連盟にとりまして大きな喜びで御座います。これでエモーショナルな音や映像の言語での素晴らしい文化交流が行われます。ここでは翻訳は不必要です。今回歴史的、文化的に重要なエアフルト市で上演された音楽と舞踊は、日本文化への深く親密な洞察を可能にしてくれました。エアフルト市はかつてマルティン・ルターが住み、修道院にこもって思索をめぐらし深め、最終的には文化史上、傑出した人物となりました。また、ここではヨハン・セバスティアン・バッハも仕事に勤しみました。その作品は音楽史上、非常に貴重なものとされています。

ヨハン・セバスティアン・バッハが生きていればきっと、この新しいエアフルト劇場の来賓席に座り、菊の会のみなさまに心からの拍手でお迎えしたことでしょう。ただし、今は天国の仕切り桟敷からですが、そのバッハの名におきましても、私どもは日本からの芸術家の皆様を心から歓迎し、エアフルト市での公演に対し心からの感謝をお伝えしたいと思います。

東京富士大学 理事長 二上 映子

菊の会・日本のおどり 「アトリエ公演」を鑑賞して

日本舞踊は宗家家元があり古典舞踊として数派の流派によって貴重な伝統として継承されて守っておられます。
 舞踊集団 菊の会も畑 道代先生により創設され 畑 聡代表に継承されたと伺って居ります。菊の会のご公演は日本文化を伝承されながら現代に向け他国へも公演に行かれ好評を仰いでいらっしゃいます。
 この度の舞台では狂言舞踊はありませんでしたがこの舞台は振付による豊かな表現の力で地域文化の向上に役立ち現代社会の日常生活に馴染むことのできる舞踊と思います。
 芸術として文化庁でも取り入れられ小・中・高校の生徒さん達にも受け入れられてご披露されています。
 日本語が通じない他国においても出演者の皆様の心からの生き生きとした舞に感動をうけたと伺っています。
 素晴らしい振付の公演を鑑賞しながら仕種・目線・指のしなやかさ等は男らしさ女らしさ・茶道・書道・スポーツ等にも役に立つところがあると感じております。
 幼少から大人の方まで男女とわず親しんでいただける舞台です。今後とも畑 代表様を中心にますます菊の会のご発展を心よりご祈念申し上げます。

新宿区 区長 吉住 健一

日本文化を世界に繋ぐ舞い

躍動感溢れる舞踊に魅入ったのは、「菊の会」が国際交流の場で演じる姿を拝見した時でした。新宿区内で素晴らしい舞踊集団が活動しているという噂は聞いていたものの、直接公演を目にする機会に恵まれなかったことを、もったいないことであったと後悔した瞬間でもありました。その後、幾度かの演舞を見せていただきましたが、会場の規模やイベントの意義、観衆の様子に合わせた演目選びなど、感銘を受けています。
 創立者の畑道代先生が従来の日本舞踊を深化させた芸術を目指し、育ててこられた舞踊集団であるということが、絶え間なく進化していく「菊の会」の精神の礎となっているのだと感じています。
 文化庁文化交流使として世界各国を巡られていることと思いますが、各地で根付いた文化や芸能を吸収し、伝統に根差した日本舞踊に独自の味わいを増しているのではと思っています。日本を訪れたことのない海外の方でも、日本の情景をイメージできるような道具を用い、「菊の会」の皆さまによる舞踊を初めて目にする方でも楽しめるような配慮を感じました。
 また、メンバーの皆さんは若い人が前面に出ていることも特徴として感じています。花見の季節に西落合のスタジオでの公演を拝見した際に、着付けのアトラクションがテンポよく観覧者参加型で行われていました。自然な誘導によって、和装の着付けや踊りが別世界から、身近な感覚に変わっていった様子が印象的です。日本舞踊の世界に入る前の段階で、和服を着るということで出来ていた堅苦しい壁のような意識が、自然と消えていきました。
 「菊の会」さまが、これからも日本の伝統文化を表現者としての立場で世界に発信していっていただくことと、伝統芸能の伝承者の立場として次世代の皆さんに伝えていってくださることを心から期待しております。ますますのご発展を祈念いたしております。

菊の会の評価

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